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『Memories to Records ~聴かせて先輩!~』(産労総合研究所『企業と人材』2011年12月号)

『Memories to Records ~聴かせて先輩!~』(産労総合研究所『企業と人材』2011年12月号)

本ブログについて、渡邊のインタビューが掲載されました。是非ご一読下さい。

産労総合研究所『企業と人材』

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『RMCAリレー連載26 企業経営を強化する 実践!リスクマネジメント講座 レコード・マネジメント⑨』(日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年11月号)

RMCAリレー連載26 企業経営を強化する 実践!リスクマネジメント講座 レコード・マネジメント⑨』(日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年11月号

 NPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会の上記誌上講座で、渡邊の第9回記事が掲載されました。皆さん是非ご一読下さい。今回が最終回となります。

・改めてリスク・マネジメントの重要性
・そしてレコード・マネジメント
・実務的にどうするか
・RMCAについて

日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年11月号

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『RMCAリレー連載23 企業経営を強化する 実践!リスクマネジメント講座 レコード・マネジメント⑧』(日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年8月号)

RMCAリレー連載23 企業経営を強化する 実践!リスクマネジメント講座 レコード・マネジメント⑧』(日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年8月号

 NPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会の上記誌上講座で、渡邊の第8回記事が掲載されました。皆さん是非ご一読下さい。

・災害によって失われたもの
・アイデンティティの喪失
・レコードマネジメントとアーカイブズ
・災害アーカイブズ

日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年8月号

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『ネクストドキュメントフォーラム2011』のお知らせ

ネクストドキュメントフォーラム2011』のお知らせ

 渡邊が理事を務めるNPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会と㈱データ・キーピング・サービスは7月13日(水)から7月15日(金)の3日間、東京ビッグサイトで開催される『ネクストドキュメントフォーラム2011』に出展します。
 詳細は以下リンクからご参照下さい。
 『ネクストドキュメントフォーラム2011』セミナー案内
 ㈱データ・キーピング・サービスのニュースリリース

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『今問われる実効性の高い事業継続計画とは!』

NPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会主催 第54回東京オープンセミナー
『今問われる実効性の高い事業継続計画とは!』


 標題のセミナーが以下の通り開催されます。皆様是非ご参加下さい。

<日時>
 2011年6月23日(木)18:30~21:00
<場所>
 TKP東京駅日本橋ビジネスセンター カンファレンスルーム7A<内容>
1.『3・11大震災に学ぶ首都東京の課題』 危機管理勉強会(齊藤塾)塾長、前東京都総合防災部情報統括担当課長 齊藤實氏
2.『事業継続計画取材の現場から』 リスク対策.COM編集長 中澤幸介氏
3.『実効性の高いBCP構築方法』 ニュートン・コンサルティング代表取締役 副島一也氏
<参加費>
 RMCA会員:2,000円 会員紹介者:5,000円 一般8,000円
以上

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『RMCAリレー連載21 企業経営を強化する 実践!リスクマネジメント講座 レコード・マネジメント⑦』(日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年5月号)

『RMCAリレー連載21 企業経営を強化する 実践!リスクマネジメント講座 レコード・マネジメント⑦』(日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年5月号)

 NPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会の上記誌上講座で、渡邊の第7回記事が掲載されました。皆さん是非ご一読下さい。

・その記録は何のために残すのか
・記録が備えているもの
・記録の特性を意識する
・ビジネス文書は難しい?

日刊工業新聞社『ISOマネジメント』2011年5月号

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『与えられた環境で、とにかく動け!』 有限会社ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(6)

『与えられた環境で、とにかく動け!』
㈲ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(6)

【社会人時代】
-先見の明がありますね。

冨田)その食わず嫌い、苦手意識だけは克服しておかないとダメだと思い、3年限定、コンサルティング会社に移る前の3年限定だと決めて、システム系の会社でSEをやりました。

-コンピューターが嫌いな人がSEやっていたんですか。
冨田)プログラミングは私には無理だとわかっていました。そこでITの世界を広く浅く見ることができるネットワークを希望しました。肩書きは“ネットワークコンサルタント”になりました。

-SE時代に学んだことは何ですか。丁度3年しかいなかったんですか。
冨田)はい。丁度3年経ったその日から転職活動を始めました。

-やっている内に意外と面白くなってきたということは無かったんですか。
冨田)あまり無かったですね。やっぱり自分には向いていなかったということがわかりました(笑)。だけど食わず嫌いを克服できて良かった。目的は達成しました。

-じゃあ、本当に就職するためのステップとして3年間勤めたという感じですね。
冨田)そうですね。そんな感じです。でもいっぱい学ばせてもらいました。本当にペーペーでしたから。

-社会人としての立ち居振る舞いとか。楽しかったんじゃないですか。
冨田)楽しかったですね。先輩が「対会社」というより「対人間」として仕事をしていく様は勉強になりました。

-辞める時は皆さんに惜しまれたんじゃないんですか。
冨田)どうですかねぇ。その会社で学ばせていただいた分だけでも貢献できていたならよかったと思います。まだ当時は転職自体が珍しい時代でしたね。

-1997年ですものね。
冨田)勇気あるね、って言われました。その後は、どんどん転職が一般的になっていきましたよね。

-朝日アーサーアンダーセンは3年間のキャリアを買ってくれた訳ですよね。計画通りに。
冨田)はい。計画どおり(笑)。でもここで大きな挫折が待っていたんです。
 アンダーセンに入ると、すぐにダラスで中途採用の人達のトレーニングがあったんですよ。世界中から採用された人たちが集まって来たんです。そこでまず一つめの挫折がありました。私はもちろん英語もしゃべれるし、社会人経験も相応にあるということで、日本人以外の周りの人達と話ができる訳です。だけど皆さんはMBAとか持っているんですよ。それでいざそこでケーススタディだとなった時に、ファイナンスの話とか、会社を取り巻く政治経済の話とか、私は何にも話せないんですよね。高1の時とやや似ているんですけども、その時以上に、英語は話せても、私は語れるものを何も持っていない、ということをつくづく感じた2週間でした。でも、英語が苦手なせいで、行って何も話せないで帰って来た日本人もいた訳ですから、周りから見たら私は一目置かれていたかもしれません。ただ、自分の中ではさぼっていたツケが出たということを一番わかっていました。
 それからもう一つの挫折は、大手通信会社の民営化プロジェクトに関わっていた時に、朝の4時5時まで毎日BPRのプロセスマップをたくさん書いたりしていたんですけど、もう体力と頭がついていかない訳ですよ。それで、私は本当に頭で勝負するのは無理だと思いました。こんなことをしていたら私は死ぬとさえ思いました。私にとってはワークライフバランスが何より大事で、プライベートが確保されず、仕事のみに追われる生活はダメだということがわかりました。そして頭の良し悪しで争っている世界にいるのは辞めよう、自分はそこには向かないということにも気づき、辞める決心がつきました。不思議なことに、辞めると決めてから、他の人に仕事を引き継ぎ始めた瞬間に私の頭が動き始めたんですね。自分がやってきたことを他人に説明しようとしてみたら、びっくりするほど仕事が理解でき始めました。「何でできないんだ」というプレッシャーの中ではいいパフォーマンスが出ないということを学びましたね。これらのことが1年間に起きたことです。

-アンダーセンには1年だけだったんですね。
冨田)何としても最低3年は頑張りたいと思ったんですけどね。体力と頭がついていきませんでした。

-自分のキャリア志向を転換するということで1年でも割り切れたのでしょうね。
冨田)自分の中ではあれは逃げたのだと思っています(苦笑)。

-でも自分の中では気付きがあった訳じゃないですか。結果として現在いらっしゃる世界に通じていった訳ですし、そのまま我慢して突っ走っていっても良かったかどうかわかりませんよ。ワークライフバランスって一般的には天秤の絵を思い浮かべるんですよね。でも私にとってはワークとバランスって混然一体となっているボールのイメージなのです。そのボールの上に座って自分がバランスを取るっていう。
冨田)それ、すごくわかります。でも、私の場合はウィルウィンドを設立してからボールになったように思います。

-最後に、キャリア志向から転換したという興味深いお話も伺ったので、今の20代や30代の方々に向けて、キャリアというよりは生き方みたいなもので、メッセージを出して頂くとしたらどのような内容になりますか。
冨田)じゃあ2点。一つは、わからなかったらとにかく動け。自分の場合はとりあえず総合政策を選ぼうとか、コンサル会社に行こうとか、とにかく選ぶ訳ですよね。わからなくても何かを選んでやってみると、選択肢が消えて行く訳ですよ。10個あってどれにしようかわからない場合でも1個やってみて、もし仮にそれが違えば、選択肢は9個になりますから。それで一歩進んだことになると思うので、わからなくてもある程度考えてみたら後はやってみる。
 それからもう1点は、与えられた環境を活かし切らないとバチが当たるということ。例えば、私はたまたま日本という豊かな国に生まれた、たまたま父の仕事の関係でアメリカにいたので英語がしゃべれる、他にラッキーで与えられた教育もある、サボって痛い目にあった経験もある。そういった自分の持っているキャパ、能力、経験を目一杯、効率よく使い切るにはどうしたらいいか、それを世の中のために役立てるにはどうしたらいいか、すごく考えています。人はそれぞれに与えられた環境や能力で、世の中の役に立つようにできていると思うからです。思い悩んだりした時には、自分の環境、能力をもう一度見直してみて下さい。まず、日本という豊かな国に生まれ、きちんとした義務教育を受けられた、もうそれだけで、世界の役に立つ使命を与えられているのかなと思います。

冨田直子(3)

(2011年3月1日 渡邊 健)

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『与えられた環境で、とにかく動け!』 有限会社ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(5)

『与えられた環境で、とにかく動け!』
㈲ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(5)

【大学時代:慶応義塾大学】
-それで慶応に入られたと。しかもSFCだと。

冨田)一期生です。

-ここでまた何かあった訳ですか。
冨田)大学時代は恋愛、そしてパチンコ、パチスロにハマりました。

-何でそっちへ行ってしまうんですか。面白かったんですか。
冨田)中毒ですね(笑)。あとはサークルを立ち上げて活動もしていました。

-何のサークルですか。
冨田)テニスです。

-本当にテニスをやっているのかという。
冨田)部長と二人で立ち上げたんですけど、ほとんど皆が初心者でしたから4年間球出しばっかりしていました。おかげで球出し、すっごく得意なんですけど、こんな悲しいことないですよね。

-パチンコ、パチスロも球出しじゃないですか(笑)。
冨田)そう言われれば…って、おいおい(笑)。

-恋愛もし。
冨田)赤裸々な自分を知りました。そして学校もよくさぼりました。そうなると、学校として力を入れていた語学に一番しわ寄せがくる。語学の授業がとても多かったんです。

-でも語学は楽勝じゃないですか。
冨田)英語ではなくてフランス語を取りました。楽して英語より、新しいものにチャレンジしてみようと。この頃までにはチャレンジャーにもなっていますね(笑)。それまでは自分にはひょっとして語学脳があるのではないかと思っていたんです。でも、いやはや、結果はちゃんちゃらおかしな思い込みでした(笑)。それにサボっていたので当たり前ですよね。期末試験は毎回追試を受けるさまでした。追試ではなかなか通らないと言われていた科目だったのですが、全て追試で通ったという珍しい人でしたね(笑)。

-へぇー、馬力があるんですかね。一夜漬けができる人ですか。
冨田)はい。一夜漬けの翌日は覚えたものを溢さないように、頭を動かさずに学校に向かいました(笑)。

-ある意味、僕らの世代の典型的な大学生じゃないですか。遊んでしまったという。
冨田)でも女の子には少なかったのではありませんか。

-確かにパチンコ、パチスロはあまりいなかったでしょうね。何か勉強した科目はありましたか。私にはありませんが(苦笑)。
冨田)女性としてキャリアを積みたい的な考えがあったので、人事と経済学のゼミに在籍していました。

-大学に入るまでに、将来こうなりたいという希望はあったんですか。
冨田)ありませんでした。

-じゃあ大学に入って初めて考え始めたんですね。
冨田)総合政策ができた時にこれだと思ったのは、将来像がまだイメージできず、勉強したい分野が絞れなかったからです。経済学も社会学部も法学部も商学部も専門的な分野は選びたくなかったんです。結局それから15年以上を経て、ようやく現在のライフワークになるようなことを見つけることができました。

-でもキャリアを積みたいという気持ちはあったんですよね。
冨田)ありましたね。

-当時はまだ総合職、一般職というのが普通で、4年生大学の卒業生でも女性は一般職というのがありましたもんね。自分が入った銀行でも400人の総合職同期で女性は10人もいなかったと思います。
冨田)そういった意味では、ちょっと言葉の意味が違っていたかもしれません。ただ普通に働きたかったのです。総合職と一般職があるということがよくわからなくて、すごく不自然な気がしていました。そして女性の総合職というのは、すごく頑張らなければいけないような気がして嫌でした。私は、普通に大学で男子学生と勉強していたように、仕事がしたいということを強く思っていました。最初から無用なことで神経を使いたくないという理由から外資を選んでいたんですね。

-就職活動も最初から外資志向だったんですね。
冨田)はい。キャリアを積みたいということではなく、普通に働いて面白い仕事がしたいと思っていたんです。女性だからとか、余計なところにエネルギーを使いたくなかったので、外資の方が普通に面白いことを追求できるのかな、という思いがありました。

-就職活動自体はどうだったのですか。
冨田)ほとんどしませんでした。

-就職されたのは何年ですか。
冨田)1994年です。

-1994年ってちょっと厳しくなった年ですよね。
冨田)当時は一番の底だと言われていた年です。でも何をするか決められなかったので、コンサルティング会社に入って、まずはいろいろな会社をみてみようと思いました。それで幾つかの会社に履歴書を送りました。でも本当に成績は悪かったですし、バブル崩壊後で院卒しか採らないとか、女性は全く採らないとか、そんな世の中になっていました。それなのにおこがましくボスコンとかマッキンゼーとかにも応募しましたね。それで、面接に行った時にケーススタディをさせられたんですよ、1対1で。ちんぷんかんぷんな訳です。今入社するのは難しいと思い、他の方法を選択することにしました。コンサルティング会社は転職だと結構入りやすいらしい、であれば先にどこかで社会人経験を積もう。そうなると、まずは自分が一番苦手な分野を克服してしまおうと考えました。苦手な分野、それはコンピューターでした。これからいろいろな会社をコンサルする上でも恐らく情報システムは外せないものだろうと思ったので、コンサルティング会社に入る前に、システムの知識を身につけようと考えました。

(2011年3月1日 渡邊 健)

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『与えられた環境で、とにかく動け!』 有限会社ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(4)

『与えられた環境で、とにかく動け!』
㈲ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(4)

【高校時代:東洋英和女学院】
-高校も演劇部ですか。じゃあ、5年間。

冨田)高3はないので4年間ですね。

-中高と言えば、多感な頃でもあり、演劇もさることながら趣味なんかも広がっていったのでは?
冨田)体育会系の演劇部でしたので部活一色だったように思います。腹筋も200回できましたし、先輩が前を歩いていたら走ってしか追い越しちゃいけない、すぐ後ろに先輩がいたら「すいません!」と言って先に行かせるなど、いろいろな厳しい規則がありました。

-怖い先輩とか。
冨田)いましたね。休み時間なんかに先輩に呼び出されて、「あんた達、何で呼ばれているかわかってるんでしょうね」みたいな感じで怒られたりしました。すごく嫌でした。だから逆に自分達が後輩に対してそれをする立場になった時に、自分だけ何も言わなかったんですよ。すると友達から、「何で冨ちゃんは何も言わないの?いい子ぶってる」とか言われる訳です。いい子ぶるも何も、こんなことをしたって何もならないんじゃないの、というのが私の中にはあるからなんですけどね。この時学んだのが、圧政で人は動かせないということでした。
 ただ、上下関係という人との繋がり方という点で勉強にはなりました。先輩全員にお礼の手紙を書くとか、そういう風習は良かったと思います。

-家では部活の話はしたんですか。
冨田)しましたよ。「今日もまた呼び出されたよ」ってね。

-その時のご両親の反応は?
冨田)…、正直記憶にありません。あったとしても、「あらそう」程度だったと思います。

-まあ、ご両親もその話に対して、励ましてあげなきゃとは思わないようなお子さんだったのでしょうね。安心しているというか。
冨田)自己完結型でしたね。

-結構淡々と過ごされたんですね。方面的には何が得意で、何を捨ててきたのですか。
冨田)古文、漢文、数学、物理。完全にダメでしたね。生物と地学が好きでした。

-解剖とか?
冨田)解剖は苦手(笑)。生物は「命のつながり」を感じられる、遺伝子、DNAなんかが大好きでした。地学は悠久の時間の中で作り上げられていく自然、扇状地とかリアス式海岸とか、時間軸を感じられるので好きでした。地図を眺めるのも好きで、「あー、これは三日月湖っぽい」とか想像しながら楽しめます(笑)。

-想像するとか、妄想するタイプなんですかね。結構ゆったりした性格ですか。他人を怒れないってお聞きして、そうかなと思ったんですが。血液型はB型ですか。
冨田)そうです(笑)。
 それから、高校の間にやったことと言えば、アメリカに2回留学をしました。

-1週間とか1ヵ月ですか。
冨田)高1で1ヵ月、高3で1年です。

-それで高校は3年で卒業したんですか。
冨田)ですから、1年遅れています。

-でもアメリカに留学って…、いらっしゃったのが7歳までですよね。
冨田)英語は一旦全部忘れたんです。それで中学から授業でやり始めて、そこから覚えた単語で話すことができたんです。習った単語だけなんですよ。だからよく言われる、中学の英語だけで日常会話ができるようになるというのは、今でもそれを地でいっているんですよ。

-留学は将来のことを考えて、例えば海外で仕事がしたいということから行かれたのか、それとも何か漠然とアメリカとか英語に対する憧れがあったのか、どうですか。
冨田)理由はアメリカへの思いです。ひとつは、小さい時に住んでいた国をもう一回見てみたいという気持ち。もうひとつは、周りに留学する人が少しずつ出てきたことで羨ましいと思ったからです。両親にお願いして、祖父の知り合いの家に高1の夏休みに1ヶ月間行かせてもらいました。両親としては、私は英語もできない訳ですから、その1ヶ月間で懲りて諦めるだろうと思って行かせた訳です。でも、逆効果だったんですね。その時、私は日本のことを何も話せない自分に愕然としました。英語はそこそこ話せたんですよ。でも日本のことが語れない。このままで引き下がる訳にはいかないと思い、高3での留学を決心しました。

-高3の留学は自分の想像通りの意義あるものでしたか。
冨田)日本のことをどのくらい伝えられたかと言えば、折り紙くらいしかありませんでしたけど、学んだことは山積み。本当に行って良かったです。

-友達もできたし?
冨田)はい。そして孤独も知りました。3,000人のマンモス高に放り込まれたのです。

-日本人は一人ですか。
冨田)実はもう一人日本人の留学生がいたんですけど、半年くらいは存在も知りませんでした。そして現地の人たちは何人かが「Hi!」と声をかけてきてくれて表面的にはフレンドリーなんですけど、それだけ。すでに地元のコミュニティができあがっていて、その中に自分は入れなくて、こんなにたくさん人がいるのに自分は一人なんだっていう孤独感を、環境に慣れた2か月目くらいですかね、大勢の人が行きかう学校のホールで突如感じたことを覚えています。その後、部活に参加するようになってから少しずつ友達ができはじめました。
 人間関係以外にも学ぶことは多かったです。私は世の中に正義があると信じていて、人種差別はいけないということくらいしか考えていませんでした。学校内で、ある黒人の先生が不正とか問題を起こしていたんです。だけど、学校には何%か黒人の先生を雇用しなければいけないという基準があったので、そのことを逆手にとって、その黒人の先生は「自分のことはクビにはできない」と開き直り不正を繰り返していたようです。この話を聞いた時に、世の中の仕組みの複雑さを知ったというか、ただ差別されている人がかわいそうだとかそういう単純なことではないんだということを始めて学びました。

-日本ではなかなか見えない部分かもしれませんね。
冨田)あとは英語を初めて必死に勉強しましたね。教科書いっぱい読んで来いとかいうので。

-相当できるようになったのでは?
冨田)もともと、しゃべるのはそんなに問題がなかったのですが、読むために単語を覚えた結果、それまで日本の高校で3つある内の真ん中のクラスだったのが、帰ってきてすぐに一番上のクラスに入れたんです。それまでは、友達に「冨ちゃん、そんなに英語がしゃべれるのに、何で真ん中なの?」と言われていたんですけど。

-いつ戻って来たんですか。
冨田)1989年、平成元年。天皇陛下が亡くなった年でした。夏に戻ってきて一つ下の学年に入りました。

-それで受験まで半年ですね。
冨田)はい。でも、時期が時期ですから当初から受験をあきらめて留学しました。そのまま上の大学に進めばいいやと思って。でも、帰ってみると周りは全員が受験モード。誰も遊んでくれないし、それで模試でも受けてみようと思って、受けたら世界史なんか1点しか取れませんでした(笑)。

-1点って取るのは逆に難しい(苦笑)。
冨田)これはもう、暗記の世界史も一生懸命やらなくちゃいけないんだと思ってやるんですけど、どうしても頭に入ってこないんです。偏差値も50くらいのところから伸びない。やっぱり予定通り受験はあきらめよう、そう思っていたら慶応のSFC(湘南藤沢キャンパス)ができたんですよ。受験科目は英語と小論文だけ。

-待ってました、私のためにできたと。
冨田)私の人生、ついてるんです(笑)。まあ、そこも最終的には落ちるかもしれないと覚悟した上で受験しましたけど、結果オーライでよかったです。

-本当にそれで上手くいく人がいるんですね。むかつきますね(笑)。
冨田)これをちゃんと世の中に還元しなきゃと思っているんですよ。本当にここまでラッキーで来たので。

(2011年3月1日 渡邊 健)

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『与えられた環境で、とにかく動け!』 有限会社ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(3)

『与えられた環境で、とにかく動け!』
㈲ウィルウィンド 代表取締役、MEMORO「記憶の銀行」 代表 冨田直子さん(3)

【中学時代:東洋英和女学院】
-中高一貫に合格されたのですか。

冨田)そうです。

-燃え尽きのようなことはなかったですか。
冨田)小学校で1番みたいな人が集まってきていました。優等生を目指していたのですが、「あっ、ここではダメだわ」と思って、ぱっとあきらめましたね(笑)。瞬時に悟って、そこからありのままの自分であるようになりました。あれは小学生のときの「褒められたい欲」からの一つの転換点でしたね。好きな科目だけやって、苦手なものは手を抜き、それこそ部活に力を入れました。演劇部。

-演劇部ですか。
冨田)小学校の時から、テレビで「あばれはっちゃく」とか「ケンちゃん、チャコちゃん」とかやっていて、ヒロインがやりたかったんですよ(笑)。

-いいとこばっかりじゃないですか、優等生でヒロインで(笑)。
冨田)本当に厚かましいですよね(笑)。

-それでヒロインできたのですか、演劇部で。
冨田)ヒーローをやりました(笑)。男役。

-ダメじゃないですか(笑)。
冨田)女子校でしたから(笑)。中学生になったら、劇団に入れると思っていたんですよ。ずっと入りたいって言っていたんですが、東洋英和はテレビに出てはいけない厳しい学校だったんですね。私は事前に何も把握していなかった(涙)。

-調べようよ(笑)。でも、そういうことよりも学校のレベルで選択しているから仕方ないですよね。
冨田)そこまで頭がまわりませんでした。学校を選んだ理由が、父が東洋英和の制服が好きだったという、またどうしようもない理由でした(苦笑)。

-制服で選んだんですか(苦笑)。
冨田)父が中学、高校からずっと憧れだったそうです。娘ができたらこの学校に入れようと思っていたそうです(笑)。

-演劇部は中1から?
冨田)実は中1は美術部でした。

-美術部は面白くなかったのですか。やっぱり演劇部が花形だと?
冨田)すごく絵が上手い子がいたんです。それで、私には才能がないことに気が付きました(笑)。

-少なくともその場でトップクラスになれる可能性がないとダメなんですね。
冨田)すごく嫌な子ですよね(笑)。この頃まではそうだったのかもしれないです(笑)。

-いいじゃないですか、逞しくて。
冨田)はは。でも確かに、この頃は他人と比べていたかもしれません。そしてその反動なのか、今は過去の自分と比べてどうか、成長しているか、人としてどうか、という少しストイックな方にいっちゃってるかな?いやいや、自分に甘いとこも多大にありますが(笑)。

(2011年3月1日 渡邊 健)

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プロフィール

渡邊(Tsuyoshi)健

Author:渡邊(Tsuyoshi)健
1969年生まれ。1993年南山大学経済学部卒。2008年法政大学大学院経営学修士。第一勧業銀行、みずほコーポレート銀行、ワンビシアーカイブズ執行役員経営企画部長を経て、現在某社常務執行役員。NPO法人日本リスクマネジャー&コンサルタント協会理事。日本NPO学会、日本アーカイブズ学会、日本オーラル・ヒストリー学会会員。ARMA International、日本内部監査協会会員/公認内部監査人(CIA)。

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